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今週の『週刊現代』

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 清原、SMAP、ベッキー、甘利、宮崎(謙介)と、今年に入って『週刊文春』のスクープ連発には驚嘆させられた。
 それにひきかえ『週刊現代』『週刊ポスト』は、相変わらずヌード写真やセックス記事満載で、まったく意気あがらない。

 しかるに、今週の『週刊現代』に小生の書いた「『民権ばあさん』楠瀬喜多小論」のことが載っているという電話があり、めったに買わない『週刊現代』を買ってきた。

 確かに!開いてみると、元朝日新聞論説委員の轡田隆史(くつわだ・たかし)氏が連載している「人生のことば」第242回に「土佐の『民権ばあさん』」と題するエッセイが載っている。
 楠瀬喜多の女性参政権主張の顛末を書いた内容は、小生が高知市立自由民権記念館友の会ブックレットから出版した「『民権ばあさん』楠瀬喜多小論」をもとにしている。轡田氏は高知へ来られたおり、本を買ってくれたようだ。PDFで読めるようにしたので、下をクリックして読んでほしい。

 亡くなった恩師・外崎光広先生は「人に引用してもらえる論文が良い論文だ」と常々言っておられた。
 こうして活用されると、まんざらでもない気がする。
 さあ、今日も頑張ってパソコンに向かおう!

PDF「人生のことば」第242回ははこちらから

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女性参政権70年

 4月10日は、歴史上初めて参政権を得た日本の女性が一挙に39人の女性衆議院議員を誕生させてから70年目にあたる。
 先日、東京新聞特別報道部の中山洋子さんから、新しく出版された『女たちの情熱政治』をいただいた。

 この本の中で、初めての選挙を体験した女性たちの証言集をまとめた大槻明子さん(81)は、「つつましい暮らしで、ふだんはもんぺしかはかなかった母が、グレー地に小さなバラ模様が全面にちりばめられた着物を着て、グリーンの帯を締め、しゃなりしゃなりと出かけて行った。その誇らしげな顔が忘れられない」と述べている。男と同じように1票を投じる喜び、晴れ晴れした思いで投票所に足を運ぶ当時の女たちの姿が目に浮かんでくる。

 それから70年後の今日、国会に占める女性議員の割合は9.5%。日本は190ヶ国中156位というどん底状態を脱していない。2015年1月の調査で、30%を超えたのが42ヶ国、20%以上は90ヶ国に及び、平均22%という数字からも、いかに日本が立ち遅れているかがわかる。
 地方議会でも、2015年の統一地方選挙で、道府県議は207人(9.1%)、市議1203人(16.1%)と過去最高の当選者を出したが、人口の半分は女性という点からみれば、議会に占める女性議員の比率は極めて少ない。

 2014年6月の東京都議会本会議で、少子化問題を質問する女性議員に、議場から「自分が早く結婚しろ」「自分が産んでから」という野次が飛び、大問題になった。これは氷山の一角で、当選した女性議員が直面するのは、セクハラ、パワハラが日常茶飯事、男尊女卑が支配する「議会」という旧態依然たる男社会の厚い壁である。
 この本は、東京新聞・北陸中日新聞取材班が、女性たちの政治進出を阻む日本のいびつな構造の実態をえぐり出したドキュメントだ。

  高知県は、女性参政権発祥の地である。
 明治11年、唐人町の寡婦(かふ)「民権ばあさん」こと楠瀬喜多は、男女同権、納税の義務を果たすものには参政の権利ありと主張し、日本女性として初めて女性参政権を要求した。
 2年後の13年、自由民権派の勢力が強い上町、小高坂村で、女性でも戸主であれば選挙権、被選挙権を認めるという画期的な規則が成立した。これが日本最初の女性参政権の実現だった。町村会の有権者、議員は男子に限るとする明治17年の区町村会法改正で廃止せざるを得なかったが、規則が有効だった4年の間に少なくとも1度は選挙が行われたらしく、「男が女に投票し、女が男に投票」したと記録に残る。

 さて、10日の地元紙朝刊をみると、共同通信が行った都道府県議調査結果を報ずる「女性議員目標73%『困難』」の見だしを掲げた記事があるだけだ。この栄えある本県の女性参政権の歴史を顧み、今日の女性参政権の問題を考えてみようという地元ダネの記事は皆無である。昨年は紙面に「戦後70年」の言葉があふれたが、「女性参政権70年」には一向無関心のようだ。こんなところに、わが地元新聞記者の力量低下を感じたりするのは小生だけだろうか?


香南市長から回答

 香南市が市長選挙直前に市内18ヵ所で行う行政懇談会について、3月29日付けで市長に提出した「公開質問状」への回答が昨日、小生のもとへ担当課長から届けられた。

 内容は、こんなことだろうと予想していた通りのもので、論評するほどの価値はなく、時間のムダだから、とりあえずPDFファイルで下記のとおり公開することにした。興味のある方はご覧いただきたい。
 思慮分別のある市長なら、この時期に、こんなことはやらないだろうというのが小生の意見で、市長からの回答を読んでも「公開質問状」で指摘した批判事項に変更を加えることは何一つない。
 いまのところ「たった一人の反乱」だが、市民の中から「こんなことはおかしい」という声がジワジワ起こってきているのは確かである。

 小生は、目下12もの仕事をかかえて無茶苦茶忙しいので、この件については一応これまでとする。
 公開質問状を出して、市長を真っ向から批判したことは、たぶんムダではないだろう。おかしな事にはおかしいと声を上げる勇気をもった人が続いて出てくることを期待する。それが民主主義だから。

PDFによる香南市からの「回答」はこちら

板垣退助と西郷隆盛肖像画

眠雷・西郷像

 西郷隆盛は生涯で一度も写真を撮らなかった。したがって、西郷がどんな顔の人物だったのか、本当のところはわからない。
 もっとも有名なキヨソネの肖像画も、実弟・西郷従道と従兄弟大山巖の顔の上下をくっつけてそれらしく描いたモンタージュにすぎない。あるとき西郷従道を訪ねた板垣は、壁に掛けられたキヨソネ作の肖像画を見て、「この画はまるで似ていないじゃないか、従道君」とまで酷評したという。

 板垣退助と西郷隆盛は、薩土武力討幕の密盟を結んだ慶応3年から征韓論にやぶれて下野する明治6年まで、極めて親しい仲だった。
 明治31年12月、東京・上野公園に西郷隆盛銅像が完成する。あまりの出来の悪さに憤慨した板垣は、その後、改鋳することを企てた。そんな板垣のもとを訪ねて、「西郷の真像を描きたい」と申し出たのが熊本出身の画家・松永眠雷だった。

 明治40年、板垣や西郷の未亡人イト、西郷従道未亡人、大山巖ら親戚故旧の人々の意見を聞き、修正に修正を重ねて眠雷の西郷肖像画は完成する。これを板垣は「すくなくとも出来の悪い写真位のものになった」と評し、自ら監修した『自由党史・上巻』巻頭に掲げた。板垣の自信ぶりがわかる。
 また、23歳の時から西郷に随従したという高島鞆之助までも、「新聞や雑誌などに出るのは、大抵似ても似つかん物が多いが、唯だ近頃光永と云ふ画家の描いたものだけは、生存して居る人々に見て貰っただけ、先づ間違の無い南洲翁と認めても好い、是れが一番能く肖(に)て居るんぢや」と評価していることは注目に値する。

 これまで顧みられることのなかっった光永眠雷の西郷隆盛肖像画はいかにして制作されたのか?新資料に基づいて書き上げ、「土佐史談」第259号に発表した論文「板垣退助と西郷隆盛肖像画」を公開します。
 以下をクリックしてお読み下さい。

PDFによる「板垣退助と西郷隆盛肖像画」はこちら

中江兆民翁之碑

兆民碑
    中江兆民翁之碑(東京江東区・亀戸(かめいど)天神社)

 JR総武線亀戸駅北口を出て、明治通り、亀戸天神通りを10分ほど歩けば亀戸天神社に着く。ここに中江兆民翁之碑があることを知る人は意外に少ない。
 『社記』によれば、亀戸天神社は開祖信祐(しんゆう)が筑前太宰府にいた頃、正保3年の一夜、菅神の霊示を蒙り、その夢中、『十(とお)立ちて栄ふる梅の稚枝(わかえ)かな』という発句を得た。よつてその後、飛び梅をもつて新たに神像を造り、これを護持して江戸に下り、天満宮を亀戸村に勧請したのが始まりとされる。境内には梅はもちろん多数の藤が植樹され、学問の神様・菅原道真を祀る神社にふさわしく数多くの筆塚が立ち並ぶ。

 中江兆民碑建立の計画が始まったのは、明治39年2、3月頃と思われる。専制圧制の時代、自由・平等・博愛の三大主義を大声疾呼した一奇傑の芳名が風塵のまま消え失せるのを惜しむ人々が「都下に適当の地を卜(ぼく)して紀念碑を建設」すべく熟議を重ねた結果、生前の政友、知人、門弟から建碑の資金を募ることとして、発起人総代板垣退助、大隈重信、大橋新太郎、栗原亮一、松田正久、安藤謙介がそれぞれ趣意書を配布。会計・通信等一切の事務は兆民門弟の野村泰亮、佐野尚が担当し、事務所は青山南町5丁目五十八番地佐野尚方に置いた。碑設計の意匠は板垣が進んでこれに当たり、同年8月30日を募集締切期限とし、9月初旬にはその工事に着手する予定であった。ところが容易に資金は集まらなかったものとみえ、結局、除幕までに2年の歳月を要した。
 亀戸天神社内に碑が建立されたのは、明治41年4月4日のことである。雨の中で行われた除幕式典には、兆民の妻・ちの、長女の千美、それに板垣退助ほか数十名が来会した。式が終わって酒杯の間、板垣が語った兆民生前の懐旧談が面白い。原文のまま紹介しておこう。

 「兆民先生は無霊魂論の先鋒にして、余は先生の枕頭(ちんとう)に坐し論争する所ありたるも、命旦夕(たんせき)に迫れる病人の事故、強て争ふを止め、先生に謂(いい)て曰く、先生が生前に於て頑張るは敢て不可なしと雖(いえど)も死後の事は家族の情に任すも可ならんと云ひたり。元来先生は墓を造るに及ばず、火葬にしたる後の残骨は海に投ずるも可なりとの論にして死後のことを遺言したりといふが如きは全然無根なり。青山墓地に於て葬儀を執行せしは亡友の取計(とりはからい)にして決して先生の意思にはあらざりしなり。斯(か)かる次第故、建碑の事に就ても、招魂とか、或は慰霊とかいふ如き意味を付するは不都合故、寧(むし)ろ翁の生前を追懐する紀念なりとするを適当なりと余は信ず。先生の性行に就て一言せんに、世間にては先生を奇人なりと云ふといへども、余は以て見るにコハ寧ろ失当なり。先生は常に悪(にく)まれ役は嫌ふところなるも、余は悪まれ役となり世道人心に裨(ひ)益(えき)するあるべしとて盛に世間を罵倒したり。且先生は其罪を悪んで其人を悪まずと云ふ主義を実行したるを以て、罵倒されたる人々も少しも恨(うらみ)を懐(いだ)かざりき。亦以て先生の徳の高かりし一班を知るに足れり。曾て先生は商売も学理を以て押通し得べしと信じ、愚妻に向つて、貴家は非常に貧乏なるも私が此度商売に於て利益を得ば大に財政上の援助をなさんと言ひ、北海道にて商業に従事せしも失敗に終りたり。又、吾輩の処へは何時も酔に乗じて来るを常とし、実は少々迷惑に感じ、一日書生に命じ、先生が酔て来たるを待受け布団捲(まき)にせし処、先生布団の中より酔は既に醒めたれば許せと言ふ。因て布団の中より出せし処、其書生に向ひ、君は愉快な奴だと謂つて其より鰻飯(うなぎめし)の馳走をしたと云ふ事なりき」(『東京朝日新聞』明治41年4月5日)

 意外に思う人もあるだろうが、兆民は板垣から蒙った大恩を終生忘れず、また板垣も兆民を愛し、病床の兆民と家族の相談役として心を砕いた。明治34年12月17日、東京・青山墓地で行われた兆民の告別式で板垣が弔辞を述べたことはよく知られている。
 碑の裏に、発起人総代板垣退助、大隈重信、松田正久ら、それに賛同者として大阪浪人宮地茂平、川上音二郎、寺田寛らの名が刻まれているのが嬉しい。碑が鉄製の枠でしっかり補強されたのは関東大震災の影響だろうか、理由はわからない。

フェアな選挙といえるか?

 香南市長選挙が6月12日告示、19日投票で行われる。現職市長と元副市長が出馬表明し、前哨戦が白熱してきている。
私は、昨年から地元の自治会長をつとめているが、市から告示3週間前に、現市長が出席し市の地域(行政)懇談会を開くので、人集めをせよとの文書が送られてきた。日程を見ると、大票田の野市地区で、5月12日から20日まで、連日開催することになっている。
 いくら現職市長が毎年この時期に地域懇談会を開催しているといっても、今年は平時と違う。選挙直前に開かなくてもよさそうなものだ。選挙が終わってからやればよろしい。それならいくらでも協力する。
 そこで、3月29日、下記の「公開質問状」を市長へ提出した。さて、何と回答してくるのだろうか?

           平成28年度地区懇談会開催についての公開質問状

 過日、野市町各地区まちづくり協議会長・自治会長宛に香南市地域支援課名で「平成28年度地区懇談会の開催について」と題する文書が送付されてきた。
 これによれば、香南市地域支援課は香南市を18ヵ所の地区に分け、野市町地区では土曜、日曜を除き5月12日から20日まで連続して7ヵ所、地区懇談会を開く。ついては各公民館等へ清藤市長が出向き、平成28年度の重点施策を説明し市民と直接対話をするので、各年齢層の方に声掛けを行い、多くの人が参加するよう協力を願うという内容になっている。
 香南市選挙管理委員会は、3月3日、任期満了にともなう市長選挙の日程を6月12日告示、同19日投票と発表している。今回の選挙には現職市長と元副市長が出馬表明したことが新聞等でも報道され、事実上、市を2分する選挙戦に入っている。すでに両陣営の活発な前哨戦が展開されていることは、全市民周知のことである。平常時ならともかく、告示1ヶ月前から告示日にむけての集中的な地区懇談会の開催は、いかなる弁明があってもその意図するところが透けて見え、このような事前運動的性格をもった行政懇談会への自治会の協力は躊躇せざるを得ない。よって、以下につき質問状を提出する。

①憲法第15条第2項は、「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定している。公務員の職務遂行は中立公正(特に政治的に)でなければならない。市長選挙の前哨戦が白熱しつつある今日、挨拶まわり等を精力的に続けている現職市長の地区懇談会を行政が集中的に開催し、地域支援課が自治会長宛の公文書で動員要請を行うことは、行政の中立公正性からの甚だしい逸脱ではないか。

②公職選挙法第136条の2は、公務員等の地位利用による選挙運動を禁止している。「まちづくり自治会」は市の補助金を受ける団体であり、地域支援課はこれを取り扱う部署である。自治会長は、市が「行政懇談会」と称するかぎりその協力要請を拒むことはできず、その意味で地域支援課の要請文書は実質的な強制性を伴うものである。市長選挙を目前にした今日、同課がすべての「まちづくり自治会」等の長に対して、予定候補者である現職市長のための地区懇談会へ人集めを要請することは、職務権限を行使した選挙違反まがいの行為と受け止めざるを得ない。その認識を問う。

③現職市長と元副市長が前哨戦を繰り広げるもとで、自治会の会員も、現職支持、新人予定候補支持へと色分けされつつある、自治会は、多様な思想信条、政治的意見をもつ市民によって構成されており、不偏不党、厳正中立の立場を堅持しなければならないのは当然のことである。しかるに現下において自治会が地域支援課のもとめに応じて地区懇談会への参加をよびかければ、それは事実上、自治会として特定の候補者に協力、肩入れすることに通じ、一方の側からの批判を招くことは避けられない。このようなことは自治会の公正な運営に責任を負う者として承服しがたいものである。よって地域支援課の動員要請の撤回を求める。この対応を聞く。

④香南市長選挙で誰が新市長に選ばれるかは、6月19日の開票結果を見なければわからない。平成28年度の地区懇談会は、新市政がスタートする選挙後に実施しても決して遅くないはずである。今回の地区懇談会開催は、誰の目にも「選挙がらみ」「選挙目的」と映る。市は行政不信を招かないためにも中止し、選挙後に開催することが賢明である。これについて、市の対応を問う。

 以上、4項目について4月7日までに文書回答することを求める。なお、この公開質問状と市長の回答は、後日、一般に公表することを付記しておく。

   平成28年3月29日                                
              中ノ村まちづくり自治会会長 公 文 豪                               

  香南市長 清藤 真司 殿
プロフィール

鷄肋庵主人

Author:鷄肋庵主人
ただの鶏ガラだが、スープの出汁くらいにはなるので、捨てるのはどうかという程度の人間。

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